暖かい家族に縁がない

わたし

父と母は私が12歳の頃に離婚した。

母は私と妹を連れて、家を出ていくことになる。

私が20歳のある日、父側の祖母が危篤状態となった。

死の淵にいる母親に孫と最後の対面をさせるため、

父は私と妹を病院に呼び寄せた。

それっきり何十年も会っていない。

単身赴任であまり家にはいなかった父。

一緒に暮らした思い出はあまりない。

父が家にいるというのは特別なことだった。

だから、母、私、妹の3人暮らしが私たちには普通だった。

父母が別れたからといって、私たちの暮らしは変わらない。

そう思った。

それでも、父と離れてしまうことはとても辛く、

翌日私達が出ていくという日の夕食で、

父が「最後の晩餐だな」と言い、

私はなんだかすごく悲しくなり「また会えるからね」

と号泣しながら父に繰り返したことを覚えている。

父と母の離婚の理由は知らない。

聞いたことがない。

興味がないわけではないが、母に聞くのはなぜか憚られた。

今思うと、母が浮気をしていた可能性を心の

どこかで秘めていたから聞けなかったのかもしれない。

母と私は、あまり本音で話すことがない。

実際、母も私の離婚の原因を聞いてこない。

母と私は、お互いが核心に触れないように注意しながら

継続させている関係だと思う。

結局、母は離婚後ずっと独り身で、父は

結婚したらしい。

浮気云々に関しては本当のところはわからない。

当時父と母は毎夜すさまじいけんかをしていて、

私と妹は震えながら、布団で抱き合っていた。

とてもつらい子供時代だったと思う。

あの頃の幼い姉妹を私は強く抱きしめてあげたい。

親の仲が絶望的に悪いと子供にとっては

地獄以外の何物でもない。

逃げ場もないし、選択肢もない。

私は友達と離れてしまうことが、

ただただ悲しかった。

本当に子供は無力で大人の言う事を

聞かなければ生存さえ危ぶまれる、小さい存在だと思う。

大人の事情で子供を振り回してほしくない。

全子供には健やかに笑って暮らしてほしい。

子供から笑顔を奪う大人なんて、本当の大人ではない。

私は当時の父と母も大人だったとは思えない。

子供がいるから、自動的に大人になるわけではないので

まだ大人になりきれていなかったのだと思う。

どんな事情があるにせよ、子供に修羅場を見せ

挙句に、有無を言わさず、友達から引き離す。

暴挙以外の何であろう。

私は、まだあの頃の父と母を恨んでいるようだ。

私の方こそ、いつまでたっても大人になれない。

父に会いたいか。

特に会いたいとは思わない。

生きているのか死んでいるのかも知らない。

もし死んでいたらどういう感情になるのだろう。

でも、おそらく泣く事はないような気がする。

自分は冷血人間なのだろう。

父親は、けんかをして母親をよく泣かせていたから、

さらなる恨みがあるのかもしれない。

今日はどうしてこんな事を書くんだろう。

夕方散歩したからか。

夕方は切なくなる。

小学校だけが楽しい場所だった。

放課後は毎日広場に集まって友達と

走り回っていた。

5時の鐘が鳴ると、皆三々五々、家に帰っていく。

私も帰らなきゃ。

でも、帰りたくない。

あの時の気持ちが、少し思い起こされるからだ。

こんなに月日が経っても、癒えない傷もあるのだ。

この記事を書いて気づいた。

だとしたら、治ることのない傷が増えるばかりじゃないか。

傷が乾くことはない。

紛らわせてくれる瞬間を集めて、痛くないふりをする。

それが人生なのだろうか。

夕方散歩は二度としない。