とりとめもなく書き綴るとこうなる。ある日曜日のこと。

日々

曇天の日曜日

歩いて図書館まで行ってみた

ここのところ、バイオリズムが低迷していて

孤独感がずっと消えないから

伝家の宝刀「歩け歩けメソッド」で

上向きにしたかった

最後に図書館に行ったのはコロナ以前のことだったから

1年以上経つ

いつも自転車を使うけど、雪が溶けてそれが氷になって

テラテラになっている場所も多いので、

2km先の目的地まで歩いていくことにする

近所は閑散としている。

今日はノラ猫の姿もない。

気分はずっと沈んだまま

義母にメール返信しなきゃ

フランス語面倒くさい。

もうすぐ誕生日の友達に

何かプレゼントを送らないと

何がいいか考えるの面倒くさい。

母がスマホ変えたいって言ってたな

何がいいって聞かれても知らんがな。

配当金で暮らしていくのは

どれくらい投資をすればいいんだろう

明日から仕事か

あいつ、仕事全部丸投げしやがって。

今日の昼は何食べよ

そんなことをとりとめなく考えながら到着

お目当ての本は貸し出し中

せっかく来たから、何か借りていこう

こんなに膨大な本の中から、どうやって選ぶの

わからない

目についたものを適当に選ぶ

図書館を出て公園を抜けたところに

おいしいと評判のパン屋がある

狭い店内はいつもお客さんで賑っていたけど

昨今のコロナ禍ですいているだろう

テクテク テクテク

遠目からも、店内はいつも通り混んでいる様子がわかった

そのままUターン

しょうがない、駅前にあるパン屋まで行くか。

もうパンの口になってしまってる

駅前までは繁華街を通らなければならない

コロナ禍で、観光客もおらず、人はまばらだと

地元のニュースで言ってた

それもあって、繁華街を通ることを自分に許した

街は、あたりまえのように混んでいた

観光客もいたし、何かの資格試験の終了時間と

ばっちり合ってしまったのか、それらしい

老若男女がビルからうようよ出てくる

はー

もうこの世界、私だけになればいい

と投げやりな気持ちになる

実際、そんなことになったら気がおかしくなり

狂い死にするだろうが

パン屋までの道は遠い

足が痛い。

防水のコンバース。

試し履きして店内を歩きまくって、

やっと決めた珠玉の一足なのに、

履くと右足がいつも痛い。

どうして試し履きの時は快調なのに、

いざ買って歩き始めたら、不具合が出てくるの?

靴を買って満足できたことがない

やっと、パン屋につく

お目あてのものはここでもない。

あれが食べたかったから、はるばる来たほどなのに。

しかたないから、「ただいま焼き上がりました」

という素朴な飾り気のない、ハイジにでてきそうな

パンを買おう。

レジで精算してもらっていたら、何やら飴玉を持った

おばさんが私の横にぴたっとつく

クレジットカード機の前にいて、暗証番号打てないじゃんよっ

「サインでいいですか?」

このご時世、店の人もボールペン貸したくないだろうな

と思いながら、サインする。

疲れる。

ていうか、パン屋で飴玉だけってどんな買い物だよっ

そもそもパン屋で飴売るって何?

でね、おばさんよ、後ろ見てみろ、並ぶとこあんだよっ

ソーシャルディスタンスって言葉まだ理解できない?

イライラ苛々

パンはまだホカホカしている

我慢できずに、歩きながらパンをむしゃむしゃ

外がぱりっ、中がもちっ

私の好きなタイプのパンだった

フランス時代に元夫と寄ったパン屋で、

同じように焼きたてのバゲットを

買い、二人でかぶりついたな

あのバゲットは今まで食べたパンの中で

一番おいしかった。

今後もあのパンを超えるパンが食べられることはないと

断言できる

おいしいねと言ったらおいしいねと言ってくれる人がいるから

おいしいんだ

なんか、俵万智の短歌であったな、こんなやつ。

「おいしいねと言ってもその言葉は、宙にぽかりと取り残されるだけ」

パンをたっぷり食べ歩き、今度は何も飲み物が無いことに気付く

家まではあと5分くらいだろう

この辺はコンビニも無いし、そもそもコンビニで飲料を買うなんて

愚の骨頂

生死に関わらないのであれば生涯、コンビニで飲料は買わない

目について適当に選んだ5冊の本が入ったリュック

ズシリと重い

何も誰に対しても責任が無い

ふらふら彷徨うだけの人生

見境なく選んだ5冊の本くらい背負って歩きなさいよ

やっと家が見えてきた

何歩歩いたんだろう

スマホを確認すると9479歩だった

車社会で生きる私がこれだけ歩くのは快挙

すこしニヤリとする

母から、来週妹と姪と甥が泊まりにくることを

知らされる

え!

やった!

そうか。

誰かと会うことを楽しみにできる自分がまだいたんだ

よかったよかった

それはそうと、と

母が思いつめたように私に言う

「あんた、最近言葉がなかなか出ないって言ってたでしょ

会社でも、しゃべらないって言ってたし

何かサークルとか、趣味の活動とかして

人と会って、自発的にしゃべるようにしないと、脳が衰えるよ」

70歳の母に心配される

実際、本当に言葉が出ない。

普段使いの常用語がでてこないんだ

人の名前、日用品、場所

母がいそいそボケ防止のため毎日やっている

ナンプレでもやろうかなと、冗談で言ったら

やったほうがいいよ。

と真面目なトーンで返される

脳が衰えて、しょうもないことにイライラするってことも

あるらしい

キレるじいさんとかは、脳のある部分が萎縮し

怒りを制御する装置が壊れていると聞いたことがある

もはや、私はキレるじいさん状態なのかも

そのうち高速逆走するかもしれない

偏狭なくそばばあになりかけている

脳の萎縮問題はとりあえず横に置こう

言っても、まだ40代半ばだ。

若い若い、、はず

この孤独、怒り、不安は?

私には、決定的に何かが足りない

それは「愛」

答えはでている

慈しむ何かが要る

もはや、「人」でなくてもよい

動物でも、植物でも、モノでも、場所でも、2次元でも

心が慈愛に満ちる何かが要る

人はパンだけで生きていけるわけではない

その言葉は正しい

からからの心は、パンを食べて水分がなくなってしまった

口中のように、潤いを求めている

何かが要る