主体的に変化を受け入れたい

日々

来春からがらっと環境が変わるかもしれない

会社がらみなので、自分の意志ではない

でも、環境を変えないと。と思っていたので

時が来たのかもしれない。

私はいつだって、”変わる”ということに怖気づき、

なるべく現状のままでいたいと固まってしまう傾向にある

でも裏腹に、引っ越しも多かったし、仕事も沢山変えてきた、

一緒に暮らす人も変わってきた

ひとつの所、形にどっしり落ち着くことがなかった。

それが嫌で嫌で、変わらないように守ろうとする

けど、結局また大きなうねりに飲み込まれて

どこか知らない所で一から始めなければならなくなる

前世はジプシーだったのかもしれない

子供の時から、環境の変化を嫌っていた

中学生の頃、伯母と何気なく会話して

ある感情がおとずれた。

今でも色濃くその時の気持ちが残っている。

伯母は当時、多分勤続30年位だったと思う

ずっと同じ会社の同じ場所で同じ仕事。

私は、彼女が変化の無い毎日を過ごしてきて、

今後もさして変わらない毎日を送るであろう

と感じ、それをひどく羨んだ。

一方私は、これからの長い長い人生で

数えきれない変化があるだろう。

それをありありと想像して

ほとほと嫌気がさした。

中学を卒業して、高校に入学して卒業して、

大学に入学して卒業して、会社に入って、

もしかしたら結婚して、子供を産んで

そういう人生の節目がたくさんあることを

重く感じた。

早く、伯母さんのように毎日判でついたような生活が

したいと思っていた。

極めて変な子供だ。

幼い頃私は、親の離婚という衝撃的な事件に影響され

環境が大きく変わった。

転校なんてしたくなかったし、父親、友達とも

離れたくなかった。未来永劫一緒にいたかった。

なのに、強引に人生を変えられた。

「疲れた」

その思いが幼い私の根底にこべりついてしまった。

あれから30年経って、私はまだあの頃のままだ。

本当は変化が怖い

でも、最近盛んに世間で言われている

「風の時代」もやってきたんだ

気楽に変化の波に乗っかってみてもいいのかもしれない

私の人生は私だけのもので

主役は私

ついつい誰かの物語の脇役に自分を置いてしまいがちなんだけど、

誰かに気を使っても、誰も気にしない。

心軽やかに、力を抜いて、変化してみようと思う

絶好のチャンスを、星のめぐり合わせて与えられた。

やってみよう

来年の今頃は、どこでこのブログを書いているかな

そもそもブログ続けてるかな

それも含めて1年後を楽しみにしよう

2021年1月29日