魂半分で生きてきたけど、それも終わらせるんだ

わたし

多様性だとかいうけれど

会社に入れば、会社の色に染まり

枠内から出てはいけない。

言動も、身に着ける者も、なんなら

アイディアも

私の勤める会社はそういう絶対的な枠がある

もしそこから出たいならば、すなわち

会社からも出て下さいということ。

アイディアを出したとて、慣習の方が勝る。

10年ぶりに会社と言われる所に入り思ったのは、

こんなに軍隊みないなとこだったっけ。だ。

完璧な縦社会。

縦の上から指示されることを

下は粛々とやるだけ。

上からの指示は人によって重複することもあり、

それを、上同士で共有してくれれば

合理的なのだけど、そうは問屋は卸さないらしい。

下は、指示者が違う、同じ内容の

成果物を時間を割いてそれぞれに、

提供しなければならない。

時に虚しくなる。

その資料だって、誰の何の役にたっているのか

さっぱりわからない。

そんなこと知る必要もないんだろう。

作成資料をデーターでなく、紙で本社まで送れという

意味不明の指示があり、その紙資料を本社で紛失され、

結局見つからない、という事があった

にも関わらず何の支障もなかった時は、その資料の

存在意義を、ひいては、時間を大量に投入し資料を作成した

”私”の存在意義にまで思いは至った。

心を「無」にすれば、給料は毎月もらえるんだから、

いいのかもしれない。責任もないわけだし。

考えようによっては、最高の職場なのかもしれない。

でも、、、

歯車のひとつになり、生活できる分のお金をもらう。

機械のように無感情に。

これでいいの?

私には養わなければならない人間も動物もいないから

仕事とは、とか青臭いことばかり考えてしまうのだろうか

情熱を持って、仕事をしたい。

そう考えるのはおかしいのだろうか

せっかく母親が命をかけて産んでくれたんだから

あー、もうやりつくした!

と言いながら、最後は死んでいきたいんだ