Hey siri, どこ?

この気持ちは何だろう。
スマホが行方不明になったので、siriにどこ?って聞いた。
「わたしはここです。」って言われた。

その直後すごく切ない気持ちになった。
淋しくて、ちょっと悲しくて、やっぱり切ないって表現が一番ぴったり。
(切ないって絶妙な表現だよな。淋しいとも悲しいとも辛いとも違う。
切ないは、切ないだよな。)
切なくなって、次に、私を可哀そうだと感じた。

なんでこんな気持ちになるんだろう。

自分の声が母を探す小さな女の子のように聞こえたのか。
どこ~?
どこにもいかないで。
私のそばにいてよ。


自分のことがどうしようもなく可哀そうになることがある。
自分をいつまでも抱きしめてあげたくなる。
かわいそうに、さびしかったね、ひとりでがんばったね。
どうしてこんなこと思うのだろ

私は、かわいそうなんかじゃないし、さびしいのはさびしいけど、さびしくない人間はいないでしょ。って言えるくらいの大人にはデフォルトで備わっているレベルのさびしさ。
毎日ぐっすり眠れるし、食べられるし、しょうもないことで心から笑える。
がんばっている?かなり適当に楽に生きている。
心からそう思う。傍からはそう見えないだろうけど、人生順調に進んでるな。って。
自分で稼いだお金で好きなものを買い、食べ、呑み、気ままにやってる。健康。
家族と住んでいた頃よりも何倍も自由で、こう言っては何だけどストレスの少ない生活をしている。
生活満足度は高い。
でもそんなこととは別なんだろうか、迷子になった少女と道端で出会って、もう大丈夫だよ。おばさんがついててあげる。守ってあげるよ。っていう気持ちをもう一人の自分であるその少女に対して持つのはどうして?

私、実は、自分に同情しているのかな。
それってナルシスト?エゴイスト?自分大好き人間?

心の本当の部分に迷子になった少女がいて、その子をなにかのスイッチでひょっこり見つけてしまって彼女の気持ちに共感してしまうのだろうか。

このたまにやってくる哀愁(とでも言おう)がとても嫌いだ。
私は飄々とのらりくらり生きていきたい。片手で持てるくらいの、適当におさまりのつくくらいの孤独はしょうがないから許容し、辛い事に遭遇する前に察知できるものならして全速力でかちあわないように逃げて生きたい。

だから、迷子の少女には会いたくないんだ。
抱きしめたいのに抱きしめられない。
抱きしめたいけど、どうしていいかわからず、ただただこの感情がおさまるのを待つのは苦しいんだよー。