子供は持てなかった

結婚していた時、子供がほしくてたまらなかった。

ハーフの子供なんて絶対かわいいだろう

まわりも言うし、私もそう思っていた。

しかし、私は子供が好きではない。

結婚したら子供なんて当たり前にできるもの。

できないのは世間体が悪い。

だから、乗り気ではない当時の夫の感情を

一切無視し不妊治療をしていた。

それが、子供を泣くほど欲しい理由だなんて

陳腐すぎる。

簡単に手に入らないものは、どんどん

欲しくなる。

子供を持つことだけが目的になり

私だけがつっ走っていた。

日本での不妊治療は、しぶしぶながらも

夫は協力してくれていた。

しぶしぶさは当時は隠していたけど、

そんなものは妻はすぐに見抜く。

フランスでの不妊治療は、ドクターに

自分は父になる準備ができていないから

不妊治療はしたくないとはっきり言っていた。

じゃあ、私は何のためにここにいるのか。

言葉がままならない私に、ドクターは意見を

求めてこなかった。

あんなに悔しい思いをしたことはない。

同時に、あんなに彼を卑怯だと思ったこともない。

私が望んで、一応それに同意する形で

婦人科に同席しているのに、一方的な

離脱宣言だ。

思えばこの時点で夫婦関係は完全に終わっている。

それに気づいていたのに離婚という次の

ステップに行くことが恐くて目をつぶった。

今離婚し、一人で暮らしている。

そして、たまに考える。

もし子供がいたらと。

子供がいたからといって、私たちの結婚は

続くわけがない。

そうなると、私はフランスで独立し、共同親権のため

お金を稼がなければならない。

狭いアパートで暮らし、

朝も昼も夜もどこかのスーパー

とか飲食店で働いていたかもしれない。

あるいは、子供を捨てて日本にひとり帰っていたかも

しれない。

想像したくないけど、自分のエゴで、フランスに

いる方が子供も幸せだとか何とか言いながら、

日本に帰って後悔し続ける。

今思うことは、子供を持てる器量が私にはなかった。

だから、お空の上にいる無数の子供誰ひとり

私たち夫婦を選ばなかったのだ。

私が後々苦しむのがわかっていたから。

とても腑に落ちている。

なぜ、私には子供ができないのか。

できないことは苦しかったけど、

私が壊れないように

誰かが采配してくれたと今は思える。