日常のふとした瞬間に、元夫がまだ若かった頃のある場面を思い出す。
フランスのお母さんに送ってもらったきれいな水色のセーターを着て、
場所は新しくできた近所のイオンのフードコート。
お互い何か食べ物を買って、私は先に席で待っている。
少しして、彼がラーメンか何かが乗ったトレーを持って
私の方に歩いてくる。
この場面がしょっちゅう頭によみがえる。
はっきり。
彼の表情も。
なんでだかわからないが、私はこの時のこの瞬間の彼が
本当にいじらしい。
そして、私たちが結婚したての頃、まだ彼が20代の
この頃になんでもっともっと優しくできなかったんだろう
と叫びたくなる気持ちが沸き上がる。
この彼に死ぬほど会いたい。
会って、心の中で謝って、愛情を返したい。
この時の彼が、幸せそうな顔を一切していなくて
でも、遠い祖国にいる母からはたっぷり愛情を
注がれていて、その象徴がセーターで、
私はそんなに愛されて育った彼を、大事にすることが
できなかった。
彼は愛されてしかるべき人間で、私との関係は
彼は理解できないことばかりだったと思う。
そのうち、理解しようとすることもあきらめて
しまった。私はそういうことにも一切気づかなかった。
私は、自分をひどい人間だと思いたくて
この時の彼を無意識に頭によみがえらせているの
かなと思う。
でも、とっても辛いんだ。
後悔して、自分を最低の人間だと思いこみ
こうして今孤独に生きているのは、今までしてきた
ことの報いだ。と考えて納得する。
何がそうさせるのか。
また、この場面が頭に浮かんで、どうしようも
ない気持ちになってしまったのだ。
このなんとも言えない、すべての原因は
私だ!と考えてしまう、この行為を辞められる
日は来るのだろうか。
来なくなった時は、本当に幸せだと感じられる
ことが少しでも出てきた時なのかもしれないけど、
今はまだ無理
今日は感情が赴くままの文なので、推考、読み返し
無しブログ
ひどい文章でもここまで読んでくれてありがとう。