子無し女

わたし

自分のプロフィールに「子無し女」と書いたけど

子無しという言葉は、子供がいる事が正常だと

いう暗の押し付けがある。

私は、ある一定の年齢以上の人に対して、

子供がいないことがわかったら、

なんとなく理由を探ってしまう。

子供がいるのが普通と思っている証拠だ。

だから、「子無し女」として自分の”特徴”を書いたのだろう。

そう。私には子供がいない。

望んだ時期が長くあったが、授かることはなかった。

今でも、子供がいない事がどうしてもひっかかる。

子供がいる人生をおくりたかったと思っている。

こんな事おおっぴらに言ったら、

誰かを不快にさせてしまうかもしれないけど、

私は子供がいないことで自分に欠陥があるし、

いつまでも融通がきかなくて、

大人になりきれていないと感じている。

自分が幼稚であるのは、子供がいないことが理由ではない

のかもしれなくて、でも、何かはっきりとした理由が欲しいから

そう思おうとしているかもしれないが、

子供がいないことが、私の精神的な「ダメさ」の大きな

理由だとしている。

だって、私は好き勝手に生きていて、

我慢したり誰かを優先させたりという事がないのだ。

乱暴に言えば、自分がよければそれで良い。

子供がいたら、そんなふうにはいかないでしょう?

強制的に「自分より誰か」の精神構造になるのでしょう?

それが私にはなかなかできないことだ。

自分を差し置いてまで尽くす人がいることにとても憧れている。

これだと結局、誰かに無償の愛を捧げたいという

自分の欲求を満たすために、子供を使っている。

実際子供がいたら、ひどい親だったね。

小さな子供には胎内記憶というのがあって、

「どうしてお母さんのところに来たの?」

とたずねると、

「やさしそうだから、お母さんの子供にしてと神様に

お願いした」

というような事を答えると聞いたことがある。

何度もある。

これを耳に目にする度、私は深く傷ついてきた。

子供がいなくて、自分を卑下しているから特に

この話は刺さる。

ああ、私は選ばれなかったんだ。

やさしそうに見えないのかな。

子供は真実を見抜くからな、やさしくないのが

ばれるんだな。

と落ち込む。

ホントばかみたいだけど。

子供がいたらどんな人生だったんだろう。

クリスマスシーズンなんかはやっぱり

考えてしまう。

私もトイザらスとか行ってたのかなとか。

今日も今日とて24時間自分の為だけに

時間を使った。