言葉の通じない友達

フランス

フランスにいた頃、リサイクルショップで働いていた。

そこにあたらしい仲間としてドイツ人の女性が入ってきた。

長くつ下のピッピの30年後という感じ。

ピッピはドイツから夫の仕事の都合で

私の住んでいる町にやって来た。

フランス語は全くしゃべれない。

英語も全くしゃべれない。

日本人はアメリカ文化に毒されているから、

横文字(米語)が多く使われる。百合子も大好物。

一応最低でも3年間は学ぶので割と英語は近い存在だ。

でも、ヨーロッパは違うのだろうか。

特に驚いたのは、語学学校で一緒になった

とある東欧の国からきた、現地では医者だったという女性。

年齢は私と同年代か少し上。

彼女は英語の「sky」も「sun」も「sea」も知らなかった。

ところ変わればだ。

で、ピッピも英語がわからない。

職場では、電子辞書を持ち歩き、お客や同僚となんとか

意思疎通をはかっていた。

私は彼女と気が合い、仕事が終わったらカフェによく行った。

彼女の出自はスウェーデンからの移民。

ミュンヘンで暮らしていた。

その頃は、あの有名な車の会社に勤めていて、

給料はものすごーく高かった。

でも、夢をあきらめきれず、舞台衣装の仕事に就いた。

などを知った。

物腰が柔らかくて、よく笑い、大好きだったけど、

彼女は徹底してアラブ人差別主義者だった。

フランスではこの手の人間が多いので驚きはしない。

(”あの”ドイツでも?と多少思ったのは否定しないが)

私は、アラブ人の事を苦虫を嚙み潰したように話す

彼女の顔が醜いなと思った。

私だってフランスにいる時、アラブ人に対する固定観念を

捨てきれずにいたので、彼女を非難することができるような

人間ではない。

ただ、嫌だな、自分ももしかしたら他人にこう見えているの

かもしれないな。気を付けようと思った。

彼女の名前も忘れてしまった。

フェイスブックでつながっていたけど、離婚した勢いで

私はアカウントを解約してしまった。

地球上のどこかで生きているだろう。

赤毛のピッピを思い出した話でした。

おしまい