2011年の東日本地震のあとに、当時の夫と私は
フランスへ移住した
フクシマの原子力発電所のショッキングな映像が
世界中に流されて、義理の家族、親戚、彼の友達から
毎日のように電話がかかってきた
最初は彼も、私を含めた日本人と同様に呑気にしていた
私たちが住んでいたところは、福島から大分離れた
場所だったから
しかし、フランスにいる人達からしたら、狭い日本の
中であんなことがおきたという事実が全てだった
彼は故郷に帰ることを決定した
当時彼は自営業をしていて、従業員も何人かいた
突然の解雇宣言を思うと、私は当時の従業員に
本当に申し訳なく思う
彼は一度決めたら、誰がどう言おうと、状況がどうであれ
押し通してしまう。
根回しとか、妥協とかなく、相手の事情も吹っ飛ばし
てしまう
そういうところは、人種関係なく
彼のダメなところだと思っている。
とにかく、彼か起こす台風に皆が巻き込まれてしまう
私は、彼からフランスについてきてほしい
とは言われていない。
僕は、フランスに帰る。
それだけを言われた。
私達が今後どうするかについての話し合いもない
当時すでに我々の関係が危ういものだったんだろう
私は、2人の関係の真実から目を逸らし、彼についていく
ことにした
完全に被害者意識を携えて。
仕事も家族も捨てて行くんだ。
被害者意識も出てこよう
しかし、彼に請われたわけではないから、
被害者意識はまったくのお門違いである
それは彼自身が思っていたことだろうが
彼は何も言わなかった
もうかなり前の話しだ
そして、その当時のことは正直忘れたい
体も精神も悲鳴をあげてしまったあの頃。
孤独感と無力感と無能感が毎日襲ってきて
とにかく辛い毎日だった
でも、時が過ぎれば結果的にフランスで暮らした
ことが私の人生最大の経験と宝物になったわけで
人生、これだからやめられない
今、日本に合わせてがんばっている
私はフランス人の生き方とか考え方が
日本人と全然違ってみえて、好きだった
たまたま関わった人が良かっただけで
それはすごーーーく確率の低い幸運だったと知ってるよ
それを差っ引いたとしても、
例えば、街の景観、美的センス、自由主義
ラテン的思考、今言った事が明日には真逆的刹那さ
「愛」がすべてなとこ、ワイン、圧倒的完成された
美しい顔を持つ人々、自然の豊かさ、歴史etc.
好きなところがいっぱいある。
だからね、また戻りたいんだな
日本にはもういられないでしょう
それは、皆知っているけど
それを口に出したら終わる
一部のミラミッド上位の人だけが
しれっと日本を離れているでしょう
私はここを離れる力がない
大多数の日本人と同じように日本と一緒に滅びるだけだ
それが人生の落とし前というものなのかな